俳優名、ペロンヤス(Peron Yasu)。大阪岸和田出身の日本人で、在タイ歴20年。1997年に大阪吉本NSC17期卒業後、当時、心斎橋にあった2丁目劇場および、NGK(なんばグランド花月)にて漫才コンビ「イリーガル」として活動。1998年、相方の自衛隊志願によりコンビ解散後、初海外当時電気がなかったタイ南部・タオ島にて、炎の道を必死に走り抜ける夢の世界、はっと目覚めた現実世界ではアルコールランプが出火原因による火事、燃えるバンガローで死にかけるも海に飛び込み、一命をとりとめる。助かった命、タイ人の愛と慈悲、タイという国の魅力に引き込まれていく。その後、東南アジアを中心に、中央アジアからニューヨーク、ヨーロッパ諸国など、訪問した国は20か国以上。1999年に東京でオーディションを受け、映画「ワイルドゼロ」竹内哲郎監督(ロケ地:タイ)におかまを襲う役で映画初出演、また同作では特殊メイクを変えて、数多くのゾンビ役としても出演。これが切欠となり、現場で戦ったタイの映画制作チームとの出会いや繋がりをはじめ、世界中から映画制作やCM撮影、PV、MV、番組制作にやってくるこの地、タイでやってみたい、何より1人の日本人俳優として、海外に出て挑戦してみたい。結果、2001年には所持金10万円の単身で東京から東南アジアの中心ともいうべきタイの地へ。本格的に活動拠点をタイに移動する。その後、2003年にはタイで初出演した緑茶のCM(ユニフグリーンティー)が、カンヌ国際広告祭で金賞を受賞、「新芽チョーダイ!」という言葉がタイで大ヒットし、タイでの緑茶ブームを巻き起こす。以来、現在までタイ国内外のCM出演本数は30本以上、主に映画を中心として演じているほか、ドラマや舞台、旅、料理番組の司会(ナビゲーター)をはじめ、企業PV等のアナウンサーやCMの声優、台本翻訳(日タイ英)、オンラインタイ語レッスンも精力的に行っている。2007年には邦画「ハブと拳骨」(英語名:Bloody Snake Under the Sun)中井庸友監督に栄一役で出演、第20回東京国際映画祭のコンペティション部門や夕張ファンタスティック映画祭、ハンブルグ映画祭にも参加。また、タイ映画「メナムの残照」(タイ語名:'คู่กรรม 'クーカム,英語名:Sunset)リョウ監督では歴史背景や日本語指導、制作全般および吾妻軍医役としても出演、バンコク国際映画祭に参加、第27回東京国際映画祭にも出品されている。2018年公開の邦画「ニワトリ★スター」監督:かなた狼(英語名:Smokin' on the Moon)では、ドラッグディーラーで自称ラッパーのJay役を演じている。また同年、初のマレーシア映画「ロムーシャの愛」(英語名:Romusha)に安田大輔重曹役として出演、同じくマレーシア映画「The Garden of Evening Mists」では、遺骨収集人の一人として出演している。2021年の6月には邦画「ありがとうモンスター」に出演(2022年公開予定)、8月にはニワトリ☆フェニックスに出演が決まっている。
PERON YASU(ペロンヤス)
タイ:27,Moo7,Nongdon,
Saraburi,Thailand 18190
(+66)89-777-9769
日本:5-1-2,Isonokami,
Kishiwada,Osaka,
Japan,596-0001
(+81)70-8414-5072
peronyasu@gmail.com
水球でJr.オリンピック出場決定⁉
• 1993年3月卒
小さい頃からスポーツは大好きだった。アイススケートに水泳、水球、中1で少しハンドボール。そんな中学時代。中学2年の時、中学最後の夏といっていい、浜寺水連学校水球部で初のキャプテンとなった。この年、我ら弱小チームでも、Jr.オリンピックの出場権を得ていたのだが、ある日、先生が皆の前で一言放った。「皆、すまん!健康診断の提出、忘れてた...。」水球部キャプテン、最後の夏はあっけなく終わった。その一言で、Jr.オリンピック出場は消えた…。
バイクの走り屋、ボクシング、そして岸和田少年愚連隊• 1996年3月卒
高校時代、夜港や埠頭でのバイクレースにはまった。チームの名前は「全力失走」。また、その頃からボクシングジムにも通い始めるようになる。高校の部活では水泳部、夜はボクシングジムでのトレーニング、真夜中は改造バイクにまたがり埠頭へ。ある日、峠の下りで居眠り運転によるバイクの大事故。脹脛を40針も縫う大怪我を負う。回復後、懲りずに夜はバイクのレースへ。高校三年の時、朝の通学路で毎日撮影していた映画「岸和田少年愚連隊」の撮影現場に感化されて、バイク整備士の専門学校進学を辞退。その後、芸能の道へと大きく軌道を変えていく、人生の大きなターニングポイントであったことは違いない。
お笑いコンビ「イリーガル」として活動。• 1997年3月卒
当時、コンビ名「イリーガル」として、今はなき心斎橋二丁目劇場での手見せ、またなんばグランド花月で手見せ公演を行う。
大阪府立浜寺水連学校 • 1992年8月
1992年、中学2年の夏、大阪府浜寺水連学校の高等科を卒業し、水泳教師としての資格を取得。また、水球部のキャプテンとなったが、選手全員健康診断不提出によりJr.オリンピックに出場できなくなった年でもあった。
階級フェザー級 • 1996年
大阪府立近畿大学での試合。階級はフェザー級、開始ゴングと同時にけんか腰で大きく放ったカウンターがまぐれで相手選手にヒット、1Rで勝利を獲得。トイレに行ってたため、ビデオも撮ってもらえず、晴れ場をみてもらえなかった今は亡き阿児会長から、「お前はスタミナ無いから1Rでやるかやられるかの'左カウンター一発屋'や!」と名付けられる。
階級Jr.ウェルター級、ライト級 • 1997年,1998年
1997年は3日で8キロ減量という強烈な減量を経て、兵庫県明石での試合により、全日本実業団ボクシング選手権第三位を獲得。負けた準決勝ではまともに右カウンターをもらい、TKO負け。試合後、顎が全く動かず、過酷な減量で超空腹であるにもかかわらず、夜打ち上げで行った焼き肉食べ放題(しかも割り勘)で肉一枚も噛めず味わえず、更に地獄を味わう。1998年は和歌山県和歌山市での試合でも、全日本実業団ボクシング選手権第三位を獲得し、二年連続で3位入賞を果たす。この頃、漫才コンビ「イリーガル」も解散、東京へ拠点を移す。また、初の海外、タイ、マレーシアへの旅に出る。
主に刺身、寿司、日本食全般 • 2005年~
東京からタイに移り住み始めて数年が経過、水泳教師をしながら精力的にタイでの役者活動の日々。その頃、殺陣の先生であった横須賀潮也氏よりのご紹介で、日本料理店「寅次郎」と繋がり、主に刺身、寿司をはじめ、日本食全般の板前修業の場を頂く。厨房責任者として寅次郎に6年在籍。
タイの小学校卒業レベル • 2006年
日本料理店「寅次郎」での修業時代、タイ語検定ポー6の卒業資格を取得(2006年)。この頃にはタイ語での会話はもちろん、読み書きも問題なく出来るようになる。
障害飛越&馬場馬術• 2011年
タイ陸軍の乗馬クラブHG(ホースガード)にて、数年にわたってタイ軍人よりスパルタの乗馬レッスンを学ぶ。毎年障害の試合にも出場し、2011年にはタイHGカップにて第五位に入賞。馬場馬術検定も1級、2級共に合格。いつでも時代劇に出演できるよう、両手手放しでギャロップで走りながら、ジャンプ等出来るようにもなったが、肝心の乗馬を伴う時代劇や映画の話がなかなか来ず。現在もまだかまだかまだか〜!とオファーを待っている。
①水泳(競泳、日本泳法)②水球③殺陣④ボクシング⑤乗馬(障害&馬場馬術)⑥料理⑦バイクの運転➇車の運転⑨タイ語⑩英語⑪ラオス語(イサーン語)
趣味 ①キャンプ②ハーモニカ③釣り④映画鑑賞⑤言語の学習⑥音楽鑑賞
タイ、大阪、神奈川、東京に拠点を置くふんどし屋『忍ブランド』。男性用、女性用、子供用の厳選された天然素材のふんどしを取り揃えています。商品の閲覧はこちらから SHINOBIBRAND .
俳優業はもちろんの事、インバウンド事業、タイ語、英語翻訳、タイ語レッスンや企業PV、アナウンサー録音等のお仕事も精力的に請け負っております。お気軽にお問い合わせくださいませ。ペロンヤス 拝